提供元:海士町
公開日:2019年2月17日 ~
隠岐ドキ!あまチャンネルの新シリーズ「歴史と伝説の島々」
その第一回目は、出雲松江藩の第2代藩主、松平綱隆公により隠岐島・海士に配流され、延宝6年(西暦1678年)に隠岐中ノ島(海士)で亡くなった、日御碕神社宮司の小野尊俊の物語です。
小泉八雲の代表作「知られぬ日本の面影」にも「哀れにも恐ろしい伝説」として書かれているその話。史実としては次のように伝えられています。
松平綱隆公が日御碕神社参拝の折、おもてなしをした尊俊の奥方に一目惚れし、側室にしようとしたが果たせず、それでは主人の尊俊を亡き者にして自分元へ来るように仕向けようと、いわれのない罪を着せて隠岐へ流罪に処した。しかし綱隆公の目論見は叶わず、尊俊を流罪に処した一年後に自分が先に急死。尊俊の奥方は実家の井戸に入水自殺したと..
その後松江藩に不幸が続き、6代目が3歳で世継ぎとなるに至り、これは尊俊の祟りだと、松江、出雲の日御碕、隠岐の海士の三箇所に神社を建立し「推恵神社」と呼び、尊俊を祭神として祭りました。
後鳥羽上皇をご祭神とする隠岐神社の敷地から100メートルほど森に分け入ったところにある推恵神社は、小野尊俊のお墓であり実際に埋葬された場所でもあります。
加持祈祷に優れた能力を持っていたといわれる小野尊俊は、隠岐に流され悲嘆にくれながらも海士の島民を助けてあげていたらしく、亡くなった後も盆になると島中から島民が集まり、廟所で歌や踊りのお祭りが行われていたという記録が残っています。
しかし、今では訪れる人も少なく森の中にひっそりとたたずむ推恵神社。
番組では、隠岐神社と並び非常に強力なパワースポットである推恵神社を、独自の視点から紹介していきます。